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児玉党ここによみがえる

「平家物語」における児玉党(1)

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ここに児玉党とおぼしくて、うちはの旗さいたる者ども十騎ばかり、をめいておかけ奉る。

「平家物語」巻第九の「知章最期」の章の一節です。
「うちはの旗」とは武将が軍陣で用いる軍配団扇(相撲の行司がもっているようなもの)を図案化し、旗にえがいたものです。当時、団扇の紋章といえば児玉党の代名詞であり、その紋章がえがかれている旗をさしていたからこそ十騎ほどの武者たちが、児玉党の者たちであると、「平家物語」の作者は推測しているのです。

ちなみに、この一節の前後は以下の内容になっています。

新中納言知盛卿は、生田森戦の大将軍であったが、その軍勢はみな逃げ去ってしまい、今は息子の武蔵守知章と侍の監物太郎頼方とのたった三騎となり、助け舟に乗ろうとなぎさの方へ落ちて行った。そこに児玉党と思われる軍配団扇の旗をさした者どもが十騎ばかり、喚声をあげながら追いかけて行った。
監物太郎は弓の名手であり、まっ先に進んできた旗さしの首の骨をヒューッと射て、馬からさかさまに射落とした。十騎の中の大将と思われる者が、新中納言に組みかかろうと駆けつけ馬を並べたところ、息子の武蔵守知章が中に割って入り、馬を並べてむずと組んだところ、二人とも馬からころげ落ちた。知章はとりおさえてこの大将の首を斬り、立ち上がろうとしたところ、敵(児玉党)の童がかけつけて知章の首を討った。監物太郎はとびかかって、今度は武蔵守知章を討ったこの童を討ったのだった。
その後、監物太郎は矢のある限りを射つくして、刀を抜いて戦いたくさんの敵(児玉党)を討ち取ったが、左の膝がしらを射られて立ち上がれなくなり、座ったまま討ち死にしてしまった。

激しい戦闘の中で、平家の者たちが最期をとげてゆく様が語られている部分ですが、そこでは同時に児玉党の者たちも多くが討ち死にしているのです。

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