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児玉党ここによみがえる

児玉党の活躍

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児玉党が最も活躍したのは、平安時代末期から鎌倉時代にかけてです。
この時期は、荘園の警護を目的とし地方豪族が武力をつけ始めた、武士の勃興期であり、児玉党も武蔵国にある名字の地児玉を拠点として、一大勢力に成長したものと思われます。
源平合戦において児玉党は源氏方につき、多くの戦いに従軍しました。また、奥州藤原氏討伐にも転戦し、それらの功績により全国各地に所領を受けることとなりました。
例えば、児玉党の庄三郎忠家は、一ノ谷の戦にて平家の大将である平重衡を捕虜にした勲功により、陸奥に所領を得ました。また、四方田三郎弘長は源頼朝に仕え奥州征伐に従い、その功績により備後御調本北条の地頭となりました。
児玉党が「平家物語」「源平盛衰記」「吾妻鏡」等の文献に頻出していることからも、その活躍が推測できます。
児玉という姓は人名研究家の佐久間英氏の「佐久間ランキング」によると 313番目に多い姓であり、また地名・姓氏研究家の丹羽基二氏によると全国に 6万人いるそうです。(最近の調査はこちら
決して珍しくない児玉という姓は、児玉党の活躍により全国に広まったのです。
児玉党の分流として系図に表れているのは、児玉、秩父、新屋、片山、豊島、吉島、与島、吉田、富野、富田、大類、大河内、小幡、稲島、高山、柏崎、島方、大浜、白倉、矢島、浦上、大塚、岩田、多子、島名、保尾、牧野、大渕、鳴瀬、黒岩、岡崎、浅羽、小見野、長岡、粟生田、大河原、塩屋、奥塚、本庄、庄、金沢、蛭川、阿佐美、荏戸内、栗栖、小中山、立川、荏、久下、倉賀野、高雄、奥平、名倉、入西、真下、小代、越生、善泉、四方田、小河原、若水等です。
当時、名字と居住地名(拠点名)とはほぼ同一のものであり、それぞれの分流名は児玉という地域内のどこを拠点としているかを表していると思われます。
これらの分流の中から、時の経過とともに全国の所領に自ら赴く者が出はじめ、その赴任地で児玉の名とともに各々の名を後世に伝えることとなったのです。

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