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児玉党ここによみがえる

児玉党のおこり

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平安時代末期から鎌倉時代にかけ、武蔵国を本拠として勢力をふるった武士団が武蔵七党です。 この七党とは児玉党以外に野与、村山、横山、猪俣、丹、西、綴、私市等の諸党を称していて、 七という数字のとおり厳密に七つの武士団を指すものではないようです。
この武蔵七党の中で、最大の武力と血族とを誇ったのが児玉党です。

伊周公の二男有道遠峰四代の孫を武蔵権守家行と称す。この時、始めて当国に来りしなるべし。其の子を児玉庄太郎家弘といへり。然らば家弘、当所に住して在名を名乗りしならん。其の支流五十余族に分れ、総て是を児玉党と称し当国に繁栄せり
「七党系図」より

当国とは武蔵国であり、児玉党の名前は居住地である児玉という地名に由来しています。ここは埼玉県児玉郡にあたり、現在でもその地名が残っています。
「七党系図」には藤原氏の流れをくんでいるかのように書かれていますが、これは摂関家につかえていた地方豪族によくある、主従関係を親子の関係に擬制して系図に表した結果であると思われます。
児玉党の一族は、有道某もしくは有某を児玉の姓とともに名乗っており、埼玉県児玉郡神泉村にある有氏(ありうじ)神社には、児玉氏の祖が祀られています。

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